第二子出産、オバサンの煩いメモ

先日、赤子を産んだ。

母子ともに健康で、経過も悪くはなく、上げ膳据え膳の生活から名残惜しくも無事退院。二児の母0歳の誕生だ。

健康は有難い。丈夫に産んで育ててくれた親と、何くれとなく支え気遣ってくれた夫はじめ家族、腰痛の悪化で如何ともしがたいところ早めの産休を取らせてくれた職場、妊娠中から適切で手厚い対応をしてくださった(検診を含めれば今も対応し続けてくださっている)産院の方々に、感謝して暮らす日々。

実は母子ともに健康という話には注釈がつき、子は産まれてくるときに臍の緒が三重にも巻きついて出てきた。産まれた後に思わず「(自分も子も)頑張った…」と零したわたしに、そのとき初めて医師が教えてくれた。

「この子が一番頑張ったんやよ」

ゾッとしてホッとした、無事出産のあとの話。

何事もない妊娠出産などあり得ないのだ。たまたま表に出ないことはあろうとも。

そういえば、上の子のときは、陣痛開始からほぼ1日かけて出産したし、痛みで何を食べても吐いてしまうので体力が切れ、出産間際には立会いの夫が血圧計をみて青ざめてナースに点滴を頼んでいた(点滴後はすんなりと産めた)。

わたしは病室のベッドでウトウトしながら、いつぞやの、自宅でひとりぼっちで我が子を産み死なせてしまった若い女性の事件を思い出していた。どんなに寂しく辛い妊娠、出産だったことだろう。会陰も裂けたかもしれない。胎盤はきちんと出せたのだろうか。あんな、大の大人が形振り構わず叫ぶような激しい痛みを、ひとりで抱えて、そして、なきものにしなければならなかったのだ。全部ひとりで背負い、さらば、と臍の緒を切らねばならなかったのだ。そんなことは、そんな決断は、もうこれ以上誰もしなくていい世界にしなければならない。

復職した暁には、みてろよ、世界。

ひとつでもふたつでも変えてやる。

 

自宅での生活は、赤子が泣けば2歳児の上の子も騒ぐといった調子で、特に休日はどうにもうまく動けない。夜間授乳で子ども同士が起こし合い、収拾がつかない。平日は上の子は園に通っており、生活にリズムがつきやすく、母も子どもたちも落ち着いていられる。それでも久々の新生児との生活は、産んで一月も経たない体にはまだまだ慣れない。経産婦らしく、後陣痛も辛いし、難なら痔もひどくてボラザのお世話になっている。ホルモンの調子によって、わけもなく涙が出てくる。

 

ただ、経産婦なので、ある程度先が見えることに安心している。今だけの辛さを楽しむ気持ちは、上の子が教えてくれたことだ。結果を楽しむのではなく、経験を楽しむことができると、子育てはぐんと楽しくなるのだな、と実感している。

ただ、経験を楽しむには人との会話が大事だと思っている。意識して会話するように励む。ガッツリ煩いオバサンのできあがりだが、いっそオバサンになってしまえば相手も割り切ってかえって心を開いてくれる。節度は守らねばならないし、会話に親切さは必要だが、基本的に、井戸端会議オバサンは楽しい子育ての第一歩のような気がしている。

たとえば産院で母たちが集まってランチを食べていたときに自分から話題を振ると、意外と皆柔らかい表情になったり、身の上話などしたりして、うっかり食事時間終了間際まで話し込む。

皆第一人者になりたがらなかっただけで、本当は大人の会話に飢えていたのでは、と思い上がってみるのだった。

 

寝不足に拍車がかかる二児の母だけれども、産まれたばかりの命が心からかわいい(上の子のときは赤子を面白いとは思ったものの、素直にかわいいと思う心の余裕が出てきたのはもっと後のことだ)し、上の子も懸命にお姉ちゃんをやろうとしていて一層愛おしく、ついデレデレと構ってしまうことが増えた。

この気持ちを残しておこうと久々にブログを書いた、9月のこと。

 

愛しているよ、子どもたち!

オバサンなおかーちゃんをよろしくね!